水戸室内管弦楽団の発足と経緯

bird-y.gif先取精神に富んだ都市の、画期的なオーケストラ

茨城県水戸市は、18世紀に水戸学を起こし、近代国家本の日本の幕開けに大きな貢献をした歴史的都市である。そして、1889年に一番早く市制をとったまちでもあり、その先進的精神を受け継ごうと市制100周年にあたる1990年に、コンサートホール、劇場、美術ギャラリーからなる複合文化施設「水戸芸術館」を設立。当時の市長が著名な音楽評論家吉田和秀さんを館長とし、市の年間予算の1%を運営費にあてるという前例の無い体制でスタートした。

運営を任された吉田館長は、100年といえば、その間に世界で活躍する日本からもたくさん輩出するようになったので、その人たちをメンバーとする専属の室内管弦楽団を作りたいという夢を抱き、小澤征爾に相談。即座にその趣旨を理解した小澤は、その頃毎年ヨーロッパ演奏旅行をともに行っていたサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーを中心に自ら慎重に人選を行い、水戸室内管弦楽団が生まれた。

bird-y.gif指揮者なしでも、アンサンブルを演奏

この管弦楽団は、指揮者のいる演奏ももちろん行うが、また、入念なリハーサルを積み重ね、指揮者なしのアンサンブルをも演奏する。室内楽団の細やかさとオーケストラのスケール感ある響きとを兼ね備えた音楽を聞かせてくれる稀有な管弦楽団である。「指揮者がなくてもアンサンブルが出来るオーケストラですが、たまには指揮者がいる曲目も演奏しようということもあるので、指揮をしています。指揮をするたびに、私も皆と、音楽をする、という精神をもう一度新しくかみ締めるという願ってもないときを一緒に持っています。」と小澤征爾は述べている。

発足以来、ホームでのコンサートにこだわり、東京などでの公演を求められても頑なに断っていた。しかし、94年にマーラー、シューベルトを演奏したライブ・コンサートのCDが初めて発売され好評で、その後もCDが2枚発売されて公演依頼がますます増え、ついに断りきれなくなった。そして1996年春に大阪のフェスティバルホール、秋にサントリーホールで演奏したのをきっかけとして、外部での演奏も多くなった。

bird-y.gifチケットはすぐ完売、世界で認められる実力

1998年には、「ウィーン芸術週間」「フィレンツェ5月音楽祭」「ルートヴィヒスブルク城音楽祭」から招待を受け、初のヨーロッパ・ツアーを実施。ハンブルク、チューリヒ、ウィーン、ルートヴィヒスブルク、フィレンツェの5都市を巡り、大喝采を浴びた。2001年に第2回ヨーロッパ・ツアーを行い、もはやヨーロッパでもその実力は認められている。

日本での定期演奏会は、春と秋の2回。そのたびに独奏、合奏ともに多くの経験を積み、高い技術と音楽性を身に付けた音楽家たちが、演奏会のたびに世界各地から水戸に集結、1週間という入念なリハーサルを経て臨む。今まで、小澤征爾はもちろん、シモン・ゴールドベルク、ルドルフ・ばるシャイ、トレヴァー・ピック、若杉弘などの指揮者、そしてムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、アンドラーシュ・シフ、ナタリー・シュトゥッツマン、といったソリストたちと共演、高い評判を得ている。

指揮者を置かないアンサンブルでは、たくさんのコンセプチュアルな演奏を行ってきた。また、日本人作曲家への依頼も多く行い、一柳慧、林光、などの作品が初演されている。林光作曲の「悲歌」は1995年度尾高賞を受賞している。

bird-y.gif新潟県中越地震での慰問コンサート

2004年12月には、新潟県中越地震の被災地を小澤征爾と水戸室内管弦楽団で訪れ、震災にあった子供たちのために慰問コンサートを開いた。会場は、長岡市立旭岡中学校体育館。寒くて、音響効果の悪いなか、いつものように全力を込めた演奏を行った。プログラムは、モーツァルトを中心としたダイジェスト曲などで、最後にバッハの「G 線上のアリア」。演奏が終わってもすぐに指揮の腕をおろさず、その姿勢のまましばし余韻に浸る小澤征爾の姿に、子供を背負った女性が目頭を押さえていた、と記事に書かれている。(毎日が発見1995年3月号)

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