サイトウ・キネン・フェスティバル松本の発足と経緯

bird-y.gifサイトウ・キネン・オーケストラから、やがてフェスティバルに

1984年、恩師・齋藤秀雄先生のメモリアルコンサートをきっかけに誕生し、海外公演を重ねる度にその評価を高めてきたサイトウキネン・オーケストラ。"幻のオーケストラ""奇跡のオーケストラ"と呼ばれていたが、やがて、日本を本拠地として世界的水準の音楽を発信していきたい、そして、恩師・齋藤秀雄が目指した日本人による世界最高の音楽を実現させたい、という思いがメンバーの中で強くなっていった。そしてついに、1992年から日本アルプスの麓に佇む長野県の文化都市、松本で「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が開催されることとなったのである。

ozawa-photo5.jpg「齋藤先生がやろうとしたことを、私たちなりのやり方で引き継ぐために、サイトウ・キネン・オーケストラは日本に腰をすえて音楽祭を開くことにしました」と、1992年の第一回目のプログラムに、フェスティバル総監督の小澤征爾は書いている。

bird-y.gifコンサートとオペラのあるフェスティバル

フェスティバルでは、コンサートとともにオペラも上演されている。音楽への理解が深まるからだ。小澤征爾がかつて師事したカラヤンも、コンサートとオペラは音楽の両輪だと言っていた。しかし、このフェスティバルで上演するのは、モーツァルトの「ファルスタッフ」のような知られたオペラも時にはあるが、あまり知られていない「ひとひねりした」オペラが多い。小澤征爾の「オーケストラがうんと活躍できるものにしたい」という考えの結果だ。

1992年の第一回目は、「エディプス王」(ギリシャ古典悲劇)。詩人ジャン・コクトーが台本を書き、ストラヴィンスキーが作曲したオラトリオ(バロック音楽の楽曲形式のひとつ)だ。演出家にはオペラ初挑戦の舞台芸術家ジュリー・テイモア。エディプス王妃は、やはりオペラ初登場のジェシー・ノーマンが熱演。そしてふたり登場するエディプス王のひとりは、舞踏家、田中民という斬新なオペラとなった。世界24カ国で放映され、欧米でも高く評価されて賞を取っている。

bird-y.gif発展しつづけるフェスティバル

「2回目からが、本当の勝負」といい続けたという小澤征爾とオーケストラは、1993年の開催にあたっても熱のこもったリハーサルを行い、国内外の大喝采をあびてフェスティバルは終了。その地位を確かなものにした。オペラは、「ひねった」オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」。地元のオーディションで選ばれた子供たちも登場した。そして、1996年、最愛の友人、武満徹がこの世を去る。第一回目の開幕を飾る小典礼楽を作曲してくれた彼を偲んで、この年から「武満徹メモリアル・コンサート」が開かれることとなる。

1998年のオペラは、国立パリ・オペラ座との共同制作という画期的な舞台となる。制作したのは、「カルメル会修道女の対話」。翌年11月に、パリ・オペラ座で再演される。また2000年から、アマチュアの1000人合唱団を交えた特別コンサートも実施。1999年−2000年、2000年−2001年の年末からお正月にかけては、冬の特別公演を行い、東京でも演奏している。そして2001年のお正月のあとは、初のアメリカ・ツアーも行っている。世紀の変わり目にあたっての特別プログラムで、演奏はどちらもマーラーだった。

また、小澤征爾の他、秋山和慶、大野和士、アラン・ギルバート、ケント・ナガノ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチといった世界的な指揮者もたびたび客演し、大変質の高い公演を行っている。そして、長野県内の小学生を子供向けコンサートに招待するなど、地元の人々との暖かい交流も含め、日本が誇る国際的音楽祭として、ますます発展し続けている。

地元運営サイドもいつも万全の体勢で、開催時期に多い台風による影響や、出演者の急病、突然の会場変更などにも迅速に対応できるようになっている。また日本のフェスティバルには珍しいボランティア・スタッフには毎年多くの人が応募し、温かい心配りでこのフェスティバルをサポートしている。

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