サイトウ・キネン・オーケストラの発足と経緯

bird-y.gif小澤征爾と秋山和慶の呼びかけではじまったオーケストラ

桐朋学園の創立者であり、生涯日本のクラシック音楽教育に情熱を注いだ齋藤秀雄。師の没後10年にあたる1984年、小澤征爾と秋山和慶の呼びかけで、世界各地に羽ばたいていった齋藤の門下生100余名が集まり、盛大なメモリアルコンサートが開催された。その時のオーケストラが基礎になって生まれたのが、サイトウ・キネン・オーケストラである。

「彼がもしいなかったら、日本のクラシック音楽界が世界でozawa-photo10.jpg認められるようになるには、もう少し時間がかかったかもしれない」と言われる齋藤秀雄は桐朋学園音楽学部の創設に力をつくし、多くの素晴らしい音楽家を育てた。その教え子たちには、指揮者の小澤征爾、秋山和慶をはじめ、バイオリンの安芸晶子、宗倫匡、藤原浜尾、塩田益子、ヴィオラの今井信子、チェロの岩崎洸、徳永兼一郎、フルートの工藤重典、オーボエの宮本文昭、トランペットの田宮堅二などなど、世界で活躍する第一級のソリストや、世界各国のオーケストラで活躍する首席奏者がいる。

そんな彼/彼女らが、亡き恩師、齋藤秀雄に音楽を捧げるため、小澤征爾、秋山和慶の呼びかけに応じ、1984年、世界各国からスケジュールを調整して日本に集結。齋藤メモリアルコンサートを東京と大阪で開催した。その見事なアンサンブルと迫真の演奏は大絶賛され、齋藤秀雄の残したものの大きさを実感させるものとなった。

bird-y.gifヨーロッパ・ツアーで実力を認められたサイトウ・キネン・オーケストラ

その後、1987年に正式に「サイトウ・キネン・オーケストラ」として、第一回目のヨーロッパ演奏旅行を行うこととなり、またも世界各地から集まって、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリ、フランクフルトで演奏、喝采を浴びた。そして、1989年、第2回目のヨーロッパ・ツアー。このときには、齋藤秀雄直接の教え子ではない桐朋学園出身の若い奏者も加わり、21歳の若手から54歳のベテランまでそろった幅広い年齢のオーケストラになった。この年、フィリップス・クラシックスによって、ブラームスの交響曲第4番と武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」がレコーディングされた。

1990年には、ザルツブルク音楽祭など、ヨーロッパ各地のフェスティバルに招かれ、大絶賛を受ける。1991年は、ロンドン、デュッセルドルフ、アムステルダム、ニューヨークを回る世界一周演奏旅行を実施。カーネギーホールのオープニング・ガラ・コンサートに招待され演奏、大好評だった。

bird-y.gifサイトウキネン・フェスティバル松本の主役に

毎年一度だけ、世界各地から集まってコンサートを行うサイトウ・キネン・オーケストラは、"幻のオーケストラ""奇跡のオーケストラ"と呼ばれたが、やがて、日本を本拠地として世界的水準の音楽を発信していきたい、そして、恩師・齋藤秀雄が目指した日本人による世界最高の音楽を実現させたい、という思いがメンバーの中で強くなっていった。そしてついに、齋藤秀雄生誕90年にあたる1992年、長野県松本市を本拠地に、小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラが主役となった音楽祭「サイトウキネン・フェスティバル松本」が開かれるとことなった。以来、毎年夏の終わりに行われるこの「サイトウキネン・フェスティバル松本」での演奏を中心にさまざまな活動を行っている。

1994年には、フェスティバルの一環としてだが海外ツアーを行い、アテネ、ケルン、ザルツブルグで演奏。また、1997年には、それまで年に一度だけの集合だったが、4月と8月にも姿を見せ、海外ツアーを行った。齋藤秀雄没後30年、サイトウ・キネン・オーケストラ結成20周年となる2004年には、5月にヨーロッパツアーを行い、6カ国で演奏している。

メンバーは、演奏のたびにスケジュールを調整して参加し、常に質の高い演奏で世界中の聴衆を魅了してきた。いわば、「オール・ジャパン」ともいえるオーケストラだ。このオーケストラを中心的存在ととなってメンバーを引っ張ってきたのが、小澤征爾。恩師に一方ならぬ思いを抱き、日本に最高水準の音楽を根付かせたいと願う世界的指揮者がいたからこそ、サイトウ・キネン・オーケストラと、されにはそれを母体とした「サイトウキネン・フェスティバル」が実現したのである。

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