ウィーン国立歌劇場音楽監督という仕事について

bird-y.gifウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する意味

ウィーンは、ヨーロッパの芸術文化の中心地として長く栄光あるopera-up.jpg歴史を誇る。そのウィーンを代表する芸術といえば、もちろん音楽だ。そして、有名なオペラ座舞踏会が開かれるウィーン国立歌劇場こそが国民のシンボルであり、ウィーンの誇りともいえる。第二次世界大戦で破壊されたときも、戦後最優先で再建が行われたほど、ウィーンの人々にとって大切なものなのだ。それだけに、そこを統括する音楽監督に関する人事は政府の閣議決定事項にまでなっている。まさに音楽界でのノーベル賞受賞と同じくらいの価値があり、いわば西洋音楽界のトップに上りつめたようなものなのだ。


bird-y.gif「伏摩殿」とよばれる、ウィーン国立歌劇場

ウィーン国立歌劇場の音楽監督というのは、130年以上の歴史の中でも、アバドが唯一で小澤征爾はふたり目となる。それ以前の指揮者は全て、音楽監督と主席指揮者を兼任していた。このことがしばしばリスクとなり、最悪の場合には監督が劇場を去るという事態にまで発展した。監督としての運営手腕と指揮者としての芸術的成果が同時に求められるという重責の中、いったん信頼を失うと不信感を生み、マスコミ、政治をまきこんでの大騒動となる。マゼールもこの憂き目に会い、演奏に登場するだけでブーイングを受けるようになって、契約4年のうち2年で監督を退任した。カラヤンもワルターも、同じような目にあっており、これがウィーン国立歌劇場が「摩伏殿」と呼ばれる理由だ。

また2人制でも油断はできない。小澤以前唯一の音楽監督アバドは、ドレーゼが監督のときにはうまくいったが、ドレーゼが追い出され、エバハルト・ヴェヒターが監督になってからは意見の衝突が激しく、2ヶ月しないうちに辞めてしまった。

小澤征爾がパートナーとなるホーレンダー監督は、音楽監督だったアバドが去ってから後、音楽監督をおかずにウィーンをしきってきた人物だ。元バリトン歌手、歌手のエージェントというキャリアを活用して、運営管理と芸術的活動の全てをこなしてきた。彼とのバートナーシップをうまく生かして、音楽に集中した活動ができ、うまく成果を上げることができるかどうかが、今後鍵となるだろう。

ウィーン国立歌劇場記事一覧

ページのトップへ ▲