小澤征爾とオペラ

bird-y.gifカラヤンに勧められて始めたオペラ

小澤征爾は日本でオペラを勉強したことはなく、ozawa-photo9.jpgカラヤンに導かれて始めた。小澤が全然オペラをやったことがないのを知ったカラヤンは、まず1968年に、カラヤンがザルツブルグ音楽祭で演出した「ドン・ジョヴァンニ」のアシスタントを務めさせた。「一生懸命ピアノ勉強して、イタリア語丸覚えして行ったんです。(中略)そんなのやるとは、思ってもみなかった」とインタビューで語っている。カラヤンが演出もするため、照明合わせや演技をつけるので、小澤が代わって指揮をするチャンスが多かった。そして1969年、ザルツブルク音楽祭でモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」を指揮し、オペラ・デビューをする。しかし、オーケストラはウィーン・フィルだったにもかかわらず、声楽家や演出家がいまひとつ冴えずに不評だった。

その後、小澤征爾の中ではオペラに対する興味が次第に深まっていった。オペラは、音楽だけではなく歌やドラマという要素が加わり、言葉の理解が大変重要だ。外国人、特に東洋人には壁が高い。歌の歌詞を理解し、覚えるための勉強量は、半端ではなかったに違いない。それでも、カラヤンの「シンフォニーとオペラは音楽という車の両輪だ」という言葉に後押しされ、面白さも手伝って、果敢にオペラに挑戦していった。

bird-y.gif世界のオペラ劇場にデビュー

1974年、ロンドンのロイヤル・オペラに「エフェゲニー・オネーギン」でデビュー。1979年、パリ・オペラ座にラヴェルの「子供と魔法」、ストラヴィンスキーの「エディプス王」を指揮してデビュー。これ以降、同オペラ座常連の客演指揮者となる。1980年にはミラノ・スカラ座に「トスカ」でデビュー。そして、1988年にはウィーン国立歌劇場にチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」でデビューを飾る。

日本でも、1990年からヘネシー・オペラ・シリーズを公演。このシリーズは9回続き、モーツァルトの「イドメネオ」、「サロメ」、「マノン・レスコー」「さまよえるオランダ人」「ファルスタッフ」「トスカ」「セビリャの理髪師」「蝶々夫人」「魔笛」と上演。演出家に蜷川幸雄を迎えたり、斬新な演出で大好評だった。また1992年から開催されているサイトウ・キネン・フェスティバル松本では、コンサートとともにオペラも上演されている。第一回目はジェシー・ノーマンらを迎えて、ストラヴィンスキーの「エディプス王」を上演し喝采を浴びたが、ここでは一般によく上演されるものだけではなく、ストラヴィンスキーの「道楽者のなりゆき」、プーランクの「カルメル会修道女の対話」、ヤナーチェクの「イェヌーファ」など少しひねったものが多く上演されている。これは、オーケストラの弦楽器の良さを最大限にいかすような演目選びをしている結果だ。

bird-y.gifそして、オペラ界の頂点に

「とにかく良く練習をさせてもらって演出家と共同制作で作った。そうやってオペラを覚えたから、いまでもオペラを作るときは、初めから演出家と綿密に作っていかないと気がすまない。」と語る小澤には、世界に多くの信頼おける優秀なスタッフがいる。その関係があるからこそ、「小澤征爾音楽塾」や「東京のオペラの森」などのプロジェクトが可能になったといえよう。

そして1999年、ウィーン国立歌劇場は小澤征爾の音楽監督就任を発表した。だいたいの契約内容は、「2002年9月1日〜2005年8月31日の3年契約。音楽監督として1シーズンに5ヶ月間ウィーンに滞在し、最低25公演を指揮。その中には最低一公演のプレミエ(新制作上演)も含む。ドイツ語圏でのオペラ活動はウィーンに限定されるが、音楽祭はこの限りではない」というものだった。ついに、「世界のオザワ」がオペラ界でトップの座についたのだった。

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