ウィーン国立歌劇場の歴史と経緯

オーストリアのウィーンの中心部にある、世界屈指のオペラ劇場ウィーン国立歌劇場。1869年、音楽の都として知られるオーストリアのウィーンに、初めて歌劇の上演のみを目的として設立された宮廷歌劇場だった。記念すべきこけら落としは、皇帝臨御のもとに上演されたモーツァルト「ドン・ジョバンニ」。

歴代の名だた骼w揮者たちは、さまざまな試みや改革によって、Mahler.jpg
現在のウィーン国立歌劇場へとつながる伝統を築きあげていったが、なかでもひとつの黄金期を担った指揮者に、1897年より就任した作曲家のグスタフ・マーラーがいた。彼は徹底した芸術至上主義のもと、独自の指示をメンバーだけでなく、観客にも与えた。たとえば上演中、観客席を暗くする慣行はマーラーから始まったことである。

1945年、劇場は第二次大戦の爆撃によって火災に見舞われ、多くの舞台装置、衣装と道具を失う。全壊は免れたが、一時期は他の劇場を仮の拠点とする苦難の時期もあった。しかし、ウィーンの人々にとって大切なこの歌劇場は、戦後すぐに最優先で再建が始まり、10年後の1955年には願いが叶って劇場が完成。この時のこけら落とし公演、ベートーベン「フィデリオ」は、歴史に残るものとなり現在にまで語り継がれている。

operahouse.jpgリヒャルト・シュトラウス、ヘルベルト・フォン・カラヤンなど優れた音楽家が音楽監督として就任してきたが、2002年よりアジア人として初めて、小澤征爾が2010年までの任期で音楽監督に就任。2005年に開催された「ウィーン国立歌劇場再開50周年記念コンサート」では、小澤征爾をはじめ、世界的な指揮者たちと、一流のソリストが集い、1955年再建時の公演演目のハイライト上演という感慨深い内容となった。

現在は年300日、約50のオペラと15のバレエ作品が、上演されており、最高級のオペラを多彩なプログラムで堪能することができる。また年に一度だけ、2月の舞踏会シーズンにこの劇場で開催されるオペラ座舞踏会(オーペルンバル)には、オーストリアの政界・経済界・文化界の重鎮たちが招かれ、華やかな礼装で古きよき時代の伝統を楽しんでいる。

建物自体は1863年から1869年にかけて、リンクシュトラーセ(ウィーン中心部にある環状道路の通称)に沿った壮麗な建物群のひとつとして建築された。ネオ・ロマンティック様式の印象的な建造物で、アウグスト・シカート・フォン・シカーズブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニュルによる共同設計である。6階まである客席は2280席、オーケストラ・ボックスは120人を収容する。

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