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007私が見たコンサート

1.テレビで大感激!
1987年のサイトウキネン・オーケストラ

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それは、1987年11月2日のことだった。新聞のテレビ番組欄で、話には聞いていたサイトウキネン・オーケストラのドキュメンタリー番組を見つけた。タイトルは「ヨーロッパへ行く 小澤征爾と仲間たち」。サイトウキネン・オーケストラがこの年、ヨーロッパへ初めての演奏旅行をしたのをまとめたドキュメンタリーだ。

番組は、コンサートのためにウィーンの空港に着き、飛行機から降りて歩いている演奏者たちの姿で始まった。安芸晶子さんがいる!堀米ゆず子さんがいる!堤剛さんがいる!!そして、もちろん小澤征爾さんもいる!!日本を代表する素晴らしい演奏家たちの大集合だ。

わずか12日間、ウィーン、ダッハウ(ドイツ)、ロンドン、ベルリン、パリ、フランクフルトでの6回の演奏旅行のために、世界のあちこちからトップクラスの日本人演奏家が集まってくる。そして12日間の演奏旅行ギー、ロンドン、サンフランシスコ、ニューヨーク、トロントといったそれぞれの根拠地に戻っていく。なんてカッコイイ!それだけでも興奮していると、やがて、練習風景が始まった。

「こんなこと言うと、齋藤先生に怒られちゃうかもしれないけどさぁ・・」小澤さんがディレクションを出しながら言うと、皆に笑いが起きる。そんな和やかな雰囲気の中で、奏者たちはこのオーケストラで演奏することのうれしさからか、笑顔を見せながら正確な音を出し、素晴らしい響きをたちまち創っていく。

サイトウキネンの初ヨーロッパツアーのプログラムは、R.シュトラウスのozawa-photo10.jpg
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、モーツァルトの「ディヴェルティメントK.136」、ブラームスの交響曲第一番。いずれも齋藤先生が得意としたものだそうで、弟子だったサイトウキネンの奏者たちも、齋藤先生の下では何度も演奏したそうだ。とはいえ、卒業後何十年の時間を経て、それぞれ別々に世界で活躍してきた人たちが再度集まったときに、どんな音になるのだろうか。もうテレビから、、目も耳も離すわけにはいかなくなった。

やっぱり!ものすごい迫力の響きだ。やさしい音はやさしいなりに、強い音は強いなりに、聴く人の心に迫ってくる。前へ、前へと出てくる迫力のある音だ。「心で歌え!」というのが齊藤先生の教えのひとつだったそうだが、まさにその通り。99人の演奏する素晴らしい音が、小澤征爾さんの指揮の下にひとつの束となって、喜びや悲しみを歌っている。本当に日本人だけのオーケストラなのか、信じられなかった。

演奏は西洋音楽の本場、ウィーンでもベルリンでも大喝采。ベルリンコンサートの翌日の新聞では、なんと「西暦2000年のヨーロッパのオーケストラは、日本人だけになってしまうのではないか。手遅れにならないように団結しよう」と書かれたそうだ。

このドキュメンタリーの中で垣間聴くブラームスの交響曲第一番は、本当に素晴らしい。サイトウキネンで録音されたCDも持っているけれど、こちらの音のほうが格段に素晴らしく迫力がある気がする。指揮をしていて「熱風が向こうから押し寄せてきているみたい」だと小澤さんが話していたが、みんなの興奮が音楽にのってからかもしれない。

ドキュメンタリーの最後に、「齋藤先生に聴かせたかったですよ」と目を潤ませながら語る小澤さんは、また、「本当に幸福な思いをさせてもらいました。」「(齋藤先生が育てた)大事なものを預かってやっている」気がしましたと言っている。見ている私たちまでもが、その幸福をわけてもらった気がする。

2.念願のボストン交響楽団を見て

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小澤さんが1973年、38歳のときから指揮をしてきたボストン交響楽団。私がようやく行くことができたのは、1999年5月のコンサートだった。このあと、2002年まで、第13代音楽監督としてボストン交響楽団を指揮したのだが、その1999年はちょうど就任25周年だった。

アメリカのビッグ5といわれるオーケストラの中でも老舗のボストン交響楽団。ここの音楽監督を20年、30年務めるのは、誰もが想像するように並大抵のことでできるものではない。一流の演奏家である団員たちが納得する実力、しかも常に新しいものを提示するチカラがなければならない。さらに、民間からの多くの寄付で成り立つアメリカのオーケストラは、コミュニティの一員であり、社会的信頼、コミュニティとの意思疎通も欠かせないのだ。

そんな中での25年。かつてのボストン交響楽団は、それまでの指揮者、ミュンシュが創り上げたフランス系の軽い音を得意とするオーケストラだった。小澤さんはカラヤンにも師事し、ベルリン・フィルでもしばしば指揮をするなどドイツ音楽を勉強してきたため、ドイツ・オーストリー系のパワフルで深い音の曲もきちんと演奏できるように、音色の改善に力を入れた。これには、「音が濁る」と団員たちは初め納得しなかったが、ボストン交響楽団の音色を消すものではないし、実力のあるボストン交響楽団ならできると言って説得したそうだ。

そしてベートーヴェン、ブラームス、マーラーなどドイツ音楽のレパートリーを増やしていくうちに、美しい色彩の音色やニュアンスがありながらも深い音の出せる、幅広い表現力を持つオーケストラに変わっていったと言われる。この夜のコンサートでは、そんなボストン交響楽団をたっぷり堪能することができた。曲目は、ベートーヴェンの、「レオノール」第三番、ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」から3章、そしてバルトークの「管弦楽のための協奏曲」

中でも「管弦楽のための協奏曲」は特に素晴らしかった。導入部分のうまい音のバランスにたちまち魅了され、それぞれのパートが寄り添いあったり離れたりしながら紡いでいく音のドラマは、私たち聴衆の心をひと時も離さなかった。

3.2001年にやっと行けた!
サイトウ・キネン・オーケストラ

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1987年にテレビで初めて見たサイトウ・キネン・オーケストラ。ozawa-photo1.jpgその後、1992年からサイトウ・キネン・フェスティバルで演奏するようになっていたけれど、チケットがなかなか手に入らなかったり忙しかったりで、ずっとテレビで見るだけだった。ところが、お正月ということで比較的取りやすかったのか、2000年に続く2度目の冬の特別公演のチケットをついにゲット!お屠蘇気分のまだ残る2001年1月4日、東京文化会館でのコンサートに行くことができたのです!

演奏曲は、マーラーの交響曲第9番。「遺書みたいな曲だから、(20世紀への)さよならにはちょうどいいと思って」選んだと、インタビューで小澤さんは答えている。2000年の交響曲第2番に続くマーラー・シリーズだ。

マーラーと聞いて、まず思い出すのはバーンスタイン。それまでの解釈とは違って、テンポをかなりスローにすることでマーラーの真髄を表現したと言われていた。そんなマーラーを聞きなれていたので、このサイトウ・キネン・オーケストラの演奏するマーラーには、驚いた。

全体的にテンポが少し速めで、けれどもその中に、悲しみを含んだ透きとおった音楽がある。スコアは、ボストン交響楽団で指揮をしていたときと同じものを使ったそうだが、そのときの書き込みとは同意できないところ、歳を取り違う視点や解釈で見るようになってきたところがあったらしい。私にはこのマーラーは、怖いけれど希望のある死、次につながっていく死を表現しているように思えた。また、人は死ぬ瞬間に一生が走馬灯のように目の前に蘇るといわれるが、第3楽章までのテンポの速さは、そんなことも思い出させた。とても新鮮だった。

そして第4楽章では、サイトウ・キネン・オーケストラの素晴らしい弦のうねりを肌で感じた。音が、ぐんぐん心の中に入ってくる感じだ。これが、小澤さんのいうインヴォルブメントなんだ!と大感激だった。また、最初から最後まで、本当にオーケストラと指揮者が一体となった演奏をするのにも感激だった。オーケストラのすみずみにまで、小澤さんの意図が通じているかのような演奏だった。

この日本公演の後、サイトウ・キネン初のアメリカ・ツアーをするということだった。アメリカでは、もしかしたら、このマーラーはわかってもらえないのではないか。そう思っていたら、案の定。サンフランシスコ・クロニクル紙では、「第4楽章を終えて20秒ぐらいの幸福な沈黙の後、拍手喝采が起きたが、第1〜3楽章だけで終わっていたら、そうはならなかっただろう」と評された。バーンスタインのいたニューヨークのニューヨークタイムズ紙はもっとひどく、「何であんなに落ち着かず、急ぐのだろうか。マーラーは、とろとろと煮込むような演奏でなければいけないのに。」と書いていた。

サイトウ・キネン・オーケストラは、特に弦が素晴らしく、情感豊かな演奏をするオーケストラだと思うが、その弦楽器のチカラが駆動力となって小澤さんにああいうマーラーを創らせたのではないか、とシロウトの私は思う。そしてもしかしたら、四季に恵まれ、死を自然のことと受け入れる土壌のある東洋ならではのマーラーなのではないか、とも。バーンスタインの大パノラマのようなマーラーも好きだけど、こんなマーラーも私にはとても魅力があった。ブラボー、小澤さん!ブラボー、サイトウキネン!

4.初めて東洋人が指揮をした
ニューイヤーコンサート2002

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2002年1月2日7時半、NHKでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のいつものニューイヤー・コンサートが始まった。現地では12月30、31日、そして1月1日に行われていて、その1月1日の模様が日本で毎年1月2日に放送されるのだ。しかし、今年は、いつもと違う。指揮者が小澤征爾さんなのだ!ニューイヤー・コンサート始まって以来、初めての東洋人指揮者。2002年9月からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することに敬意を表して、ウィーン・フィルが依頼したという。何と素晴らしいことだろう。小澤征爾さんの恩師、齋藤秀雄先生のまいた種が、数十年後にこんなに見事な大輪の花を咲かせたのだ。

いよいよ、黒のエレガントなスーツに包まれて小澤さんが登場した!演奏の前から、期待と興奮でドキドキする。ヨハン・シュトラウスの「行進曲/乾杯!」でコンサートは始まった。「ワルツ/カーニヴァルの使者」「ポルカ・マズルカ/おしゃべり女」「ワルツ/芸術家の生活」と、いつものようにポルカとワルツだけが次々と続く。ウィーン・フィルのいつもの音にもまして、軽やかだけど繊細でしなやかな音色の気がする。聞いているだけでウキウキする。思わず踊りたくなってしまう!

ウィーン・フィルのコンサートでは、アンコールが必ずワルツというほど、ウィーン・フィルとワルツは切り離せないものになっている。「真面目にやると面白いのよ。ユーモアがあり、ハーモニーチェンジなど、あっ!と思うところがある」「深いものがあると分かってきた。簡単なようだけど、やればやるほど難しい」「歴代の指揮者も決して軽く振っているわけではありません」と小澤さんはインタビューで述べている。

途中、「アンネン・ポルカ」では指揮台から降りて、1列目の奏者のすぐ前で指揮をするほど気合が入っていた。ワルツのやわらかい音から、だんだん強く弾むような音になるところなど、本当にゾクゾクする演奏だ。リハーサルにあたって、小澤さんはまた猛勉強をしたようで、ウィーン・フィルのヘルスベルク団長はその準備の入念さに感心していたとか。いつも思うのだが、演奏する全ての曲のスコアを暗記してリハーサルに臨むという小澤さんの頭って、どうなっているのだろう。

ニューイヤー・コンサートでは、毎年、新年ならではの楽しいサプライズな演出がある。太鼓が破れるというハプニングを演出していた年もあった。今年は何があるのかワクワクして待っていたら、アンコールの2曲目が始まった瞬間に、それは起きた。ビオラ奏者のひとりが、いきなり立ち上がって英語で「ハッピーニューイヤー」と言う。すると次にフルート奏者が立ち上がりフランス語で、その次にはビオラ奏者がイタリア語で、という風に、いろいろな国の言葉で新年の挨拶が次々と行われていった。ひとりが言うたびに客席からは、大きな拍手。そしてコンサートマスターのキュッヒルが日本語で「シンネン、オメデトウゴザイマス」と言うと、小澤さんが中国語でご挨拶。そして最後に、全員でドイツ語で言って、終わりとなった。この年、ユーロが元旦から流通することになり、進みつつあるEUの統合に敬意を表してこういう趣向となったらしいが、小澤さんとしてはきっと、EUだけでなくアジアの国々を含めた世界的な友好を願ってのことだったに違いない。

このハッピー・サプライズな演出の後、ニューイヤー・コンサート定番となっている「美しく青きドナウ」そして「ラデツキー行進曲」で演奏は終わった。ラデツキー行進曲で聴衆が一緒に拍手をするのも、いつものことなのだが、今年のそれは格別に楽しく見ることが出来た。これもオザワ・マジックなのだろうか。いつも全身全霊をこめて指揮する姿は、指揮者として、そして何より人としての魅力にあふれている。その指揮者を中心として奏者も聴衆も一体となっている楽しさが、テレビのこちらにまでしっかり伝わってきた。

コンサートが終わって団員と握手をし、聴衆の拍手に包まれる中、投げキッスをした小澤さん。こんな姿が見られるのも、ニューイヤー・コンサートならではのことだと思った。